今回は、腕の骨折及び橈骨神経麻痺による「禁ギター生活」を経て感じた、「練習」に対する考え方について書いていきたいと思います。
概ね所感っぽい内容になりますので、苦手な方はブラウザバックしていただければと思います。
「ギターの練習」に対する一般的な考え方
「練習」は、とかく「やり方」とか「効率」といったことが重視されるものです。
それ自体は当然・大事なことですし、手の麻痺を経験する前の私も、可能な限り時間帯効率が良くなるような練習を模索してきました。
そうした前提の下、半年近くもロクにギターを弾けない日々を過ごし、最近ようやくまともな練習を再開して思うところがありました。
「1.01の法則」と「0.99の法則」
音楽以外のこと、受験勉強などでよく使われる話なので、目にしたことがある方も多いと思います。
「日々少しでも前進」の重要性、±1%を継続したときに生まれる差を説いたものです。
「±1%を1年間継続」によって生まれる差は、以下の通りです。
・1.01(1%)の365乗→37.8
・0.99(99%)の365乗→0.03
…というわけで、約37の差が生じることになります。
1日あたりはたったの1%ですが、継続することでこうも大きな差になるのは色々と考えさせられるところです。(「複利の力」ですね)
「とにかくギターに触る」を目標、で十分では?
「骨折→ギターが弾けない生活」の中で、この「±1%」というのは、言うなれば以下のようなものだと感じました。
・+1%→ギターに触る
・-1%→ギターに触らない
一応、動かないなりにギターにはちょいちょい触っていたのですが、何しろ指が動かないので「練習」もへったくれもなかったのです。(それでもまあ、無意味ではなかったようにも思います)
その中で、指が動いてた頃は「スケールの速度が上がらん」とか「このフレーズの成功率が安定せん」といった悩みを抱えたものでしたが、弾けないようになってからは「速度上がらん」とか「安定せん」とか言えてる時点で、トライアンドエラーしているだけで十分だったのではないか?と考えるようになりました。
高い意識・モチベーションで練習に取り組むのは大事ですが、「+1%」のハードルを自分の中で悪い意味で高くしてしまって、却って負担に感じていた可能性に気付いたような次第です。
おわりに
今再度、それなりに指が動くようになった私自身もですが、ギター弾きは何かと「練習効率」だとか「方法」に囚われがちで、ベストな環境・コンディションでない日は「今日はいいかな」と、悪い意味の完璧主義的になりがちです。
そうではなく「量質問わず、ギターに触れば+1%・触らなければ-1%」と気楽に考え、とにかく日々ギターに触れようとし続けることが、長い目で見たときの成長のコツなような気がいたしました。
すっかり柔らかくなった指先を再度固くすべく、ちょっとずつギターに触れながら、そんなことを思う日々を過ごしています。
最後まで読んでいただきありがとうございました。